ある日韓歴史の旅  竹国友康
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鎮海の桜。日本が軍港とした町である。韓国の記録と日本の記録をつき合わせ、その記述の違いを読み、日本の歴史の捉え方が一面的になりがちなのは、「果敢に戦いを挑む日本」を見つめていたために、その場にいた朝鮮、中国の人たちのことを思いやることがなかった。その自己中心的な発想が日本の軍事行動を都合よく正当化してきたのではないか。と、いっている。
日本が行った数々の残虐行為は、今の子どもたちは学校で学んでいる。しかし、南京大虐殺などに関する考えは、戦争を経験した父はとらえ方が違っていた。「都市戦では仕方なかったんだよ、」多くを語ろうとしないが、死を前にしてポツリとつぶやいた。戦争に参加させられた人間も多くの心の傷を負ったことだろう
【 2004/12/06 15:40 】

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